元エホバの証人一世、possibleの“独り言”的ブログ

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真実を隠してJWの統治体を批判することは不可能

しばらく前に、とあるJW系ブログにコメントを投稿した。
(管理者は、いわゆる「覚醒した」JWとのこと。
 ちなみに、「JW」とは「エホバの証人」の略称。
 以下、すべて「JW」と表記する。)

しかし、そこの管理者の逆鱗にふれたのか、
私の投稿は、「すべて削除」されてしまった。
したがって、現在、そのブログを見ても、
私のコメントは、一切見ることはできない。

以下、直接のアドレスではなく、
「魚拓」でとったアドレスで、
その問題のブログ記事を示す。
http://megalodon.jp/2015-0201-2148-29/ameblo.jp/shou-tan-jw/


私が問題にしたのは、その中で
開拓者学校の、ある「教訓者」
(通常、それは巡回監督かその代理が務める)
が述べたとされる次の言葉である。

開拓者という言葉は、聖書の中には出てきません ~中略~
 しかしみなさんは、エホバのご意志を行う上で、
 主要な役割を果たしているのです」



この言葉を根拠に、このブログ主は
「統治体」(JWの最高首脳部)を批判してるわけだが、
しかし、私は、ここで引用されてる教訓者の言葉に疑問を呈した。
すなわち、

 聖書には、実際には、『開拓者』という言葉は出てくる

と。

JWを辞めてから、かれこれ10年近く。
聖書から完全に離れてしまって数年経っている。
それでも、私は覚えていた。

 「たしか、私の記憶では、
  聖書には『開拓者』という言葉は、
  出てきたのではないか」


と。
そして、記憶をたどって、私の聖書をぺらぺらとめくった。

そして、数分後、、、

見つけた!

以下、私は、証拠を「画像」で示す。

------------------------------------------------

まず、私の聖書(参照資料付き聖書)。
書いてある文字は、私の文字である。
参照資料付きの脚注自体に、直接、この情報が書いてあるわけではない。
その文字は、私の現役JW時代の「個人研究」の賜物である。

ヘブライ2:10

上に示したのが、私の聖書の「ヘブライ2章10節」の画像である。
主要な代理者」と書いてある部分に、
私の文字で(赤のボールペンで)、こう書かれている。
(ちなみに、同じ情報は、ヘブライ12章2節のところにも書いてある。)

"the pioneer"「開拓者」 モファット訳、改訂標準訳、新改訂標準訳




さて、「モファット訳」は、残念ながら私は持っていないので、
私の持ってる「Revised Standard Version」(改訂標準訳)で、
問題のヘブライ2章10節を示す。
https://www.biblegateway.com/quicksearch/?quicksearch=pioneer&qs_version=RSV

ヘブライ2:10(RSV)

小さい画像かもしれないが、証拠として
ご自分の目で」十分確認できる大きさだと思う。

10節の部分に、"the pioneer"(すなわち、『開拓者』)
と書いてあるかどうか、どうぞ、ご自分の目で確認していただきたい。

ついでに、「New Revised Standard Version」(新改訂標準訳)の
ヘブライ2章10節の画像も以下に示す。
https://www.biblegateway.com/quicksearch/?quicksearch=pioneer&qs_version=NRSV

ご自分の目で、"the pioneer"『開拓者』という単語が
出てくるかどうか、確認していただきたい。

ヘブライ2:10(NRSV)



--------------------------------------------------

さて、これらの「証拠」(事実)を前に、
私がまず最初に言いたいことは、
開拓者学校」という名の学校で教えてる「教訓者」が、
開拓者という言葉は、聖書には出てこない」なんて
デタラメを教えてていいのか、ということ。

注: 
 この学校の正式名称は、「開拓奉仕学校
 (英語: PIONEER SERVICE SCHOOL)である。)

次に、私が言いたいのは、そのことを指摘し、
私が「真実」(事実)を教えたにもかかわらず、
それを受け入れず(拒否し)、
しかも、私のコメントをすべて削除した
ブログ主についてである。

私は、JWの統治体を非難するのは
決して間違ってはいないと思う。
「悪い」ことは「悪い」、
「間違い」は、「間違い」。
もし、それが本当に「正しくないもの」なら、
それを指摘するのは当然だろうと思うし、
はっきり言って、それは正しい行為である。

しかし、だ。
統治体が、『開拓者』という言葉を、きちんと
聖書から引用」してるにもかかわらず
(しかも、一度きりではなく、何度も)、
それを否定し、その事実を認めず、
単に個人研究不足の(知識不足の)
開拓者学校の「教訓者」の言葉を根拠に
統治体を批判するのは、いかがなものか。

実際に、現役JWなら、「ものみの塔ライブラリー」で、
開拓者 モファット」と検索してみればいい。
そうすれば、統治体が何度も『開拓者』という言葉を
聖書から引用してる
のが分かるだろう。

ネット上で検索できる「ものみの塔 オンライン・ライブラリー」でも、
洞察」の本の中で2回、統治体は聖書から「引用」してることが分かる。
http://wol.jw.org/ja/wol/s/r7/lp-j?q=%E9%96%8B%E6%8B%93%E8%80%85%E3%80%80%E3%83%A2%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%83%E3%83%88&p=par

「聖書」そのものも、インターネットを使えば、
今ではすぐに検索できるし、調べられる。
そうすれば、他に、「新国際訳」(NIV)でも
『開拓者』と訳されてるのが分かるだろう。
https://www.biblegateway.com/quicksearch/?quicksearch=pioneer&qs_version=NIV

もし、それも「画像」で見てみたいという方
がいれば、お見せするつもりだ。
しかし、「証拠」としては、すでに示した事柄で、もう十分だろう。

他にも、例をあげたら、きりがない。
Orthodox Jewish Bible(OJB)という翻訳では、
コリント第二10章14節の使徒パウロの言葉が、

"We were the chalutzim (pioneers)"
  (発音: ウィー・ワー・ザ・ハルツィーム [パイオニアズ]
  意味: 我らが 「ハルツィーム」(開拓者、先駆者)であったのだ)


と訳されている。
https://www.biblegateway.com/quicksearch/?quicksearch=pioneer&version=OJB&resultspp=25


 ヘブライ語の「ハルツィーム」(חֲלוצִים)とは、
 「開拓者」「先駆者」という意味のヘブライ語「ハールーツ」の複数形。
 http://dictionary.reference.com/browse/chalutzim
 http://www.jewish-languages.org/jewish-english-lexicon/words/1378

 “文字どおりの”「ハルツィーム
 (現代のイスラエルの土地を開拓した人々)の写真:
 http://bnei.org.br/bem-vindo/sample-page/ )


---------------------------------------------

たしかに、「新世界訳」という翻訳に限って言えば、
そこに『開拓者』という言葉が出てこない、というのは正しいだろう。
(ブログ主は私にそう説明した。)

しかし、教訓者は、そういうふうに教えたのではない。
聖書には」出てこない、と言ったのだ。
「聖書には・・・」という説明と、「新世界訳には・・・」
という説明の仕方では、ずいぶん意味が違うだろう。

新世界訳からではなく、違う翻訳からとはいえ、
きちんと「聖書から引用してる」統治体を、
その無知な教訓者の言葉を根拠に批判するのは、
完全に「的外れ」というものだ。
http://wol.jw.org/ja/wol/s/r7/lp-j?q=%E9%96%8B%E6%8B%93%E8%80%85%E3%80%80%E3%83%A2%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%83%E3%83%88&p=par

だから、私は事実を指摘した。

 「開拓者という言葉は、聖書に出てくる」

と。
しかも、統治体は何度も「聖書から引用してる」と。
そして、もし、その批判を続けるのなら、
それは「ブーメラン」となって、
ブログ主に返ってきてしまうのではないか、と。

しかし、私がそのように述べたら、
ブログ主の逆鱗にふれてしまったのか、
私のコメントは「すべて削除」されてしまった。
トホホ・・・。

批判するのも結構だと思う。
もしそれが本当に「間違ってるもの」なら、
大いにやっていただきたい。

しかし、「真実」を指摘する者を排除(コメントを全削除)するのなら、
それは、JWの組織がやってることと、いったい何の違いがあるだろう。
そりゃ、みな「イエスマン」ばかりのコメントだけを載せていれば、
ブログ主にとっては、さぞ気持ちがいいかもしれないだろうが。

ま、私には関係ないか。


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自分で復讐をしてはならない

お知らせ
 この記事は、1月26日に再編集し、
 「ギリシャ語本文からの解説
 「画像」を少し加えました。
 より分かりやすく、また、心に訴えるためにです。)


とある掲示板に投稿したのですが、そこの管理人の都合で
勝手に」削除されてしまったため、
そのとき投稿した内容のものを思い出しながら、
今一度、書いてみます。

それは、「今、自分で復讐をしている
(過去に自分を理不尽に扱った長老たちに対して)
と述べる現役のエホバの証人の方
に対して、私が述べたものです。

では、今、思い出しながら、書いてみます。

(時間がなくて、すぐには書けませんでした。
 もう数日経ってます。
 勝手に投稿を削除するのは、
 ある意味「失礼」ではないでしょうか。
 わざわざ「時間」と「労力」をかけて
 投稿してくれた人たちに対してです。)


-----------------------------------

そろそろ、ご自分を「解放」してあげたらいかがでしょうか。
復讐に燃えてる人生など、「むなしい」ものです。
(そう思いませんか?)

聖書には、

 「復しゅうはわたしのもの
  わたしが返報する

と書かれています。(ローマ12:19)

ここで「わたしが」と訳されてる部分には、
ギリシャ語では、わざわざ人称代名詞が用いられ、
その部分が「強調」されてることを示しています。

神ご自身が、「わ・た・し・が・」絶対するから
強調して述べてる事柄を、
あなたが代わってする必要はないのです。


また、ローマ12章21節には、

 「悪に征服されてはなりません

とも書かれています。

これは、

 「あなたは、自分自身が悪に征服されるのを許してはなりません

の意です。
(英文、"Do not let yourself be conquered by the evil.")

つまり、自分で復讐をすることは、
あなたのほうが負け」という意味です。

これ(復讐)は、会社の新人研修
(その人はそれを担当していた)において、

 「あなたは絶対負けてはならない。
  もし会社を辞めるのなら、勝ってから辞めなさい」

と述べてる人には、ふさわしくない行為です。

----------------------------


以上です。

思い出しながらですので、正確な引用文ではありません。
また、この記事で、分かりやすくするために、
丸カッコ内の言葉は、ここでの私の挿入句です。

なお、「ローマ12章21節」に関しては、ギリシャ語本文から
ここで、もう少し解説してみます。

以下の画像は、私の聖書(参照資料付き)です。
そこには、私の文字で、こう書かれています。

 (現命)「やめなさい

ローマ12章21節(my Bible)

その部分のギリシャ語の文法は、いわゆる
現在時制の禁止命令」という形で書かれています。

どういうことかというと、「あなたは今までずっと
悪に征服されてきたかもしれない。
しかし、もう、そういうことはやめなさい」という意味です。


 この文法に関する詳しい説明は、
 以下のアドレスの記事の「脚注19」を参照。↓
 http://godpresencewithin.web.fc2.com/pages/hitorigoto/magdalene.html#脚注19

単に「するな」ではなく、「やめなさい」だから、
すでに、そういうことを行ってる人に
その行為を「ストップせよ」と教えているわけです。

下の画像は、私の持ってる「王国行間逐語訳」より。
その行間の英語を見れば、その問題の部分のギリシャ語が
受動態」で書かれていることも分かります。

つまり、

 征服「されている」(すなわち、他人に。しかも、悪に)

ということです。
これほど「くやしい」こともないでしょう。
http://godpresencewithin.web.fc2.com/pages/greek/imperative.html

KITRomans12:21

だから、もう、そういうことは「やめなよ」と聖書は言うわけです。

このように、「自分で復讐をしてはならない」ということには、
そうする「理由」が、ちゃんとあることを
聖書は論理的に説明しているわけです。


ところで、「心の法則」の観点からすれば、
復讐心は、まず「自分自身を」傷つけます。

怒ったり、どなったりして、
「疲れた」経験をお持ちではありませんか?
そうです。怒ることは、案外、エネルギーを使うのです。

また、そのことで、よけい「イライラ」したり、
「自己嫌悪」や、相手に悪いことをした
という気持ちを持ってしまったことはありませんか?

そのような『ネガティブな感情』を持ち続けていると、
やがて、「精神」だけでなく、
「体」にも影響が出てきてしまいます。
そうして、やがて「病気」という形で表れてきてしまうでしょう。

仮に、「病気」にまではならなくとも、
「肩が痛い」「関節が痛い」
「なんとなくダルい」「疲れがとれない」
などの症状として表れてきてしまうかもしれません。

そうしたら、元も子もありません。
相手を傷つけるつもりが、実際には

 「自分自身を一番傷つける

ことになってしまうからです。

それゆえ、難しいとしても、相手を「許す」
(もし、「許す」こと自体が難しいなら、
 「もう考えないようにする」
 「思い出さないようにする」だけでもいい)
というのは、実際には

 「自分自身のため

なのです。


しかし、自分に対して理不尽な扱いをした人を
どうしても許せない」と感じるなら、
どうしたらいいでしょう?

そういう方は、

 「神が[必ず]復讐してくださる

という信仰を持ちましょう。

「心の法則」によれば、悪は自分自身の力で
やがて「崩壊」(自ら崩壊)してしまうでしょう


それは、相手が「病気になって死ぬ」「事故で死ぬ」
あるいは、なんらかの「不幸な目に遭う」
(たとえば、「仕事を失う」「家庭不和」など)
の結果となって表れてきます。

あなたは何もしなくてもよいのです。
あなたが、自分で復讐をする必要などないのです。
それをするのは、あなたの役目ではありません。

ですから、もう、あなたをいじめた
「くだらない人」のことなどは忘れて、
自分自身のしあわせ」を願ってください。

あなたには、しあわせになる権利があるのです。
その「しあわせになる権利」を誰にも奪い取られてはなりません。


宙船(そらふね)」 TOKIO




関連記事

「罪」という言葉の意味

以前、私は、このブログにおいて、

 「悔い改め

という言葉に、どういうイメージを持っているか
と尋ねたことがあります。
http://godpresencewithin.blog86.fc2.com/blog-entry-16.html

エホバの証人の教育のみを受け入れ、
「心の法則」のことを全く知らない人にとっては、
その言葉に「積極的なイメージ」を持つことは
たぶん難しいでしょう。
それは、その言葉の「積極的な意味」を
教えてもらっていないからです。


さて、その「悔い改め」という言葉に関連して、
今日は、「」という言葉の意味について説明したいと思います。

この「」という言葉の“基本的な意味”については、
実は、エホバの証人は、よく知っています。
すなわち、「(まと)を外す」という意味です。

ここまでは正確な知識であり、まあ、いいでしょう。
問題なのは、そのあとです。
ですから、「悔い改め」という言葉と同様、
エホバの証人の教育においては
この「」という言葉を使って
人に「積極的な思い」を持たせることは難しいでしょう。

しかし、「心の法則」を知った人にとっては、
この「」という言葉を使って
人に「積極的な思い」を抱かせることが可能です。

もちろん、その基本的意味は、「的を外す」ということであり、
その「」という言葉そのものに
積極的な意味があるわけではありません

しかし、それが、どういう意味で「」なのか
ということの説明(解釈)が違うのです。
心の法則における「」の意味とは、こうです。
以下、ジョセフ・マーフィー博士の説明を引用します。

「英語の(Sin)という言葉は、
 ギリシャ語で「目標を失う」という意味
 の言葉からきています。
 昔、ギリシャ人の射手が雄牛の目を射損なうと、
 的を外した、目標を見失った、
 すなわち罪を犯したと呼んだのです。
 
 あなたのゴールや願望、目的や理想というものは、
 すなわち、あなたが目指しているもの、つまりです。
 その理屈でいうと、ゴールに到達できないこと、
 目的にかなわないことが罪
ということになります。
 
 したがって、健康を損なったり、
 富や心の平安を失ったり、
 本当の自分を表現できなかったとき
 あなたはを犯しているのです
。」

 (ジョセフ・マーフィー著、田中孝顕訳
  ジョセフ・マーフィー・ゴールデンプログラム「アンリミテッド・ハピネス」 SESSION14より。
  ジョセフ・マーフィー・インスティテュート、2004年改訂新版。)




いかがでしょうか。

本当の自分を表現できなかったとき」を、と呼ぶ
とマーフィー博士は述べています。

これは、おそらく、エホバの証人にとっては新しい概念です。
もしかしたら、あなたは、ものみの塔という組織の中にいた時、
毎日「罪を犯し続け」ていたのではありませんか?

すなわち、「自分のやりたいこと」もできず、
自分の「本当の気持ち」もおさえ、
ずっと「自分の感情」を押し殺し、
ずっと、がまんして、がまんして。。。

こうして、ある人たちは、「うつ病」や「抑うつ神経症」や
「心の病」を患ってしまったのではありませんか?
そういう状態を、心の法則では「」と呼ぶのです。

内なる神が、「あなたを通して」ご自身を表現したい
と思っているのに、それを押さえつけ、
自分の本当の気持ちや感情を無視して
自分に対して罪を犯しているからです。

あなたが鏡を見る時に、
そこに映る表面上のあなたではなく
あなたの目の奥にいる
あなたの内面の深いところにいる

 「本当の自分

に対して、です。

ヨハネ 5:14(新世界訳)
「こうした事の後,イエスは彼を神殿で見つけ,
 こう言われた。
 「見なさい,あなたは健康になりました。
 もう罪をおかしてはなりません
 さらにひどい事があなたに起きないためです」。」



私たちが、身体的にも精神的にも、
本当の意味での「健康」を取り戻すためには、
イエスのこの教えに従う必要があるのです。

もう、いいかげん、罪を犯し続けるのは、やめませんか?
聖書は、実際には、そこからの解放を教えているのです。


好きな音楽
Terra's Theme (ファイナル・ファンタジー6)


アリア・ディ・メッツォ・カラッテーレ(ファイナル・ファンタジー6)
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