元エホバの証人一世、possibleの“独り言”的ブログ

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言葉の持つ力 (私たちは自分の人生の創造者である)

今日は,私が掲示板やいろんなところで何度も紹介している
私の好きな動画を,このブログでも紹介します。
http://bb2.atbb.jp/strongwings/viewtopic.php?t=50

その音楽は,「太鼓の音」が鳴るたびに,私たちに勇気と力をくれる。

その動画に現れる「言葉」を,
今日は,文字によって,ここにはっきり示しておきます

英語だけでなく,日本語での私の訳(意訳)も試みています。
もし,英語の分かる方で,アドバイスなどもいただけたら嬉しいです。





※ 画像の文字が読みにくい場合は,
  動画の再生後右下のHQという部分をクリックするか,
  以下のアドレスを直接クリックして見てください。
  以下のように,アドレスのあとに「&fmt=18」と入れると,
  Youtubeの場合,「画像と音の質が向上」します。
  これは,誰もが知ってるわけではない「裏技」です。
http://www.youtube.com/watch?v=w3M6cboaOKk&fmt=18




Words are Powerful
言葉は,ものすごい力を持っている

Magic.
まるでマジック(魔法)のような。

With them we create whatever we choose.
それら(言葉)により,私たちが選ぶものが何であれ,私たちはそれを造り出す。

Choose Now...
だから,今,選びなさい。(あなたが用いる言葉を)


I AM Powerful
私はパワフルである。(力がある)

I AM Creative
私はクリエイティブである。(創造的である)

I AM Creator of My Destiny
私は自分の運命の創造者である。

I AM Wise
私は賢い。

I AM All Knowing
私はすべてを知っている。

I AM Universal Intelligence
私は全世界(全宇宙)の知能である。(万能の知性を持っている)

Today I Express My Genius
今日,私は,私のすばらしい才能(天才)を表現する。

I AM GRATEFUL for all the blessings I have and all that I am receiving!
私は,私が持つすべての祝福,および,私が受け取っているすべてのものに感謝する。

I AM GRATEFUL I live in a Magnificent Universe
私は,私が素晴らしい世界に住んでいることに感謝する。

I AM so very THANKFUL
私はとても感謝している。

I AM GRATEFUL
私は感謝する。(私は感謝そのものである)


Today I AM Aligned with the Perfect Vision of My Life
今日,私は,私の人生の完全なるビジョン(夢)に照準を合わせる。

Today All That is Good is Available to Me.
今日,あらゆる良いものは私にとって入手可能である。(手に入る)

Today I Take Perfect Right Action Toward My Vision
今日,私は,私のビジョン(夢)に向かって完全に正しい行動をとる。

Today All of My Needs Are Met Right Now!
今日,私の必要とするすべてのものに私は直ちに出会い満たされる。


Prosperity and Abundance are my Birthright.
繁栄と豊かさとは,私のものである。(私の生得権である)

Excellence is the Hallmark of my Life,
秀でていること(優秀であること)は私の人生の特徴である。

My Life is Fulfilling and Joyous!
私の人生は願望を実現できて,とてもうれしい。


I AM a Powerful Magnet for Light
私は,「光」を引きつける強力な磁石である。

I AM a Powerful Magnet for Love
私は,「愛」を引きつける強力な磁石である。

I AM a Powerful Magnet for Joy
私は,「喜び」を引き寄せる強力な磁石である。

I AM a Powerful Magnet for Laughter
私は,「笑い」を引き寄せる強力な磁石である。

I AM a Powerful Magnet for Peace
私は,「平和」を引き寄せる強力な磁石である。


I AM Awake
私は目覚めている。(「覚者」である。)

I AM Inspired
私はインスピレーション(霊感)を受けている。

I AM Focused
私は集中している。

I AM Pro-Active
私は率先する。(先を見越して行動する)

I AM Aware
私は知っている。(理解している)


I Expect and Receive Miracles!
私は奇跡(ミラクル)が起きることを期待し,それを受け取る。

I Fulfill My Highest Potential
私は,自分の最も高いポテンシャル(潜在能力)を発揮する。

I AM Generous and Prosperous
私は寛大であり,成功(繁栄)する。


I AM a Mighty Blessing on this Planet
私は,この惑星に住む巨大な祝福の一つである。

My Life is A Blessing
私の生命(人生)は祝福である。

My Life is A Gift
私の生命は賜物(贈り物)である。

I AM Gift
私自身が贈り物である。

I AM so very THANKSFUL
私はとても感謝している。

I AM GRATEFUL
私は感謝している。


This Day...Awesome Opportunities Await Me!
今日この日・・・素晴らしい機会が私を待っている!

I have access to Infinite POWER
私は無限の「力」に近づく。

Infinite WISDOM
無限の「知恵」に。(限りなき知恵に)

Infinite CREATIVITY
無限の「創造性」に。

Infinite ABUNDANCE
無限の「豊かさ」に。

So I AM.
そう。「I AM」に。



英文著作権:
Copyright (c) LightForm Productions, Inc
http://manifestthesecret.com/

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「貧しい人たちにみな与えなさい」の意味

今日は,聖書を読んでいて,
非常に「受け入れがたい」と思う聖句について,
マーフィー理論」(心の法則)をもとに,少し考えてみたいと思う。

それは,あるお金持ちの青年に,イエス・キリストが言われた言葉である。


その青年はイエスにこう訊ねた。
「師よ,永遠の命を得るために,わたしはどんな善いことを行なわなければならないでしょうか」(マタイ19:16)
と。

それに対してイエスは,
「命に入りたいと思うならば,おきてを絶えず守り行ないなさい。」(マタイ19:17)
と言われた。

その青年が,「どのおきてですか?」と訊いてきたので,イエスは,
「隣人を自分自身のように愛さねばならない」などの
重要な「おきて」を引用して答えた。(マタイ19:18,19)

それに対して青年は,
「わたしはそれらをみな守ってきました。まだ何が足りないのですか」(マタイ19:20)
と訊いたので,イエスは,次のように答えた。
今日,問題にしたいのは,イエスが言われたこの部分である。)


 「完全でありたいと思うなら,
  行って,自分の持ち物を売り,貧しい人たちに与えなさい
  そうすれば,天に宝を持つようになるでしょう。
  それから,来て,わたしの追随者になりなさい。」
  (マタイ19:21



その言葉を聞くと,青年は「悲嘆して」去って行ったという。(マタイ19:22)

そして,イエスは,
「富んだ人が神の王国に入るよりは,らくだが針の穴を通るほうが易しい」(マタイ19:24)
という,非常に印象に残る言葉を残す。


さて,問題のマタイ19章21節の言葉であるが,
今日どれほど聖書を「文字どおりに解釈する人であっても
この青年に言われた「イエスの言葉のとおりに行動する人は少ないと思う。

マルコの聖句によれば,

 「あなたが持っている物をみな売り,貧しい人たちに与えなさい。」
 (マルコ10:21


とイエスは言われたからである。

要するに,「持ってる全財産を(ことごとく売り)」という意味である。
これを「文字どおり」行なえば,どんな金持ちであっても「一文無し」になる。

ちなみに,あの有名なアンドリュー・カーネギーという大富豪は,
この聖句をもとに,「慈善事業」を行ない,「社会に奉仕」したという。
(「ウィキペディア」参照。)

しかし,通常,普通の人には,なかなかこういうことはできない。
そもそも,人に全部(全部でなくとも,たくさん)与えるほど
金銭に「余裕」のある人など,それほどいない。

それに,そんなに与えてしまえば,自分が生活できなくなる
普通に何もしてなくても,お金はどんどん出ていくからである。
固定資産税,車の保険や税金やガソリン代やタイヤなどの維持費,
年金,健康保険,食費光熱費,家賃,家のローン,
携帯,そして,インターネットの料金(笑),etc・・・。


では,イエスは,そもそも,どういう意味で

 「行って,自分の持ち物を(みな)売り,貧しい人たちに与えなさい。」


と言われたのか。

心の法則」の観点から見ると,次のようになる。

心の法則」では,聖書はことごとく,私たちの「心の働き」(「内面」のこと)について述べている。
すると,ここに出てくる「貧しい人たち」というのは,
私たちの「心の中にある何かを指している。
(「外面」の,そして「文字どおりの」貧しい人,という意味ではない。)

たとえば,ある本の中では,マーフィー博士は,
イザヤ58章7節の「貧しい人」(新共同訳)とは,

 「いまだに実現されていない希望,理想,計画,目的を表しています

と述べている。
(ジョセフ・マーフィー著「あなたの夢はきっとかなう」 きこ書房,2005年。218,219ページ。)


ということは,である。
イエスが言われた言葉の意味は,

 「あなたが持ってる能力や才能や財産をすべて投入して
  あなたの「希望」や「目的」を成し遂げるために努力せよ。」


という意味になる。

そうすれば,「」(内なる神の住まう場所,すなわち「」,あるいは「」)
「宝」を持つようになるのである。
http://www.watchtower.org/j/bible/mt/chapter_019.htm#bk21

そして,そこ(心や脳蓄えられた「財産」,すなわち,
あなたが苦労して身につけた「知識」や「才能」や「積極的な態度」(積極的な思考習慣)は,
だれも奪うことはできない
http://www.watchtower.org/j/bible/mt/chapter_006.htm#bk20

そうすれば,やがて,その心に蓄えられた知識」や「才能を使って
お金を作り出す」(収入を得る)ことができるだろう。

昔から,(文字どおりの)「貧しい人たち」を本当の意味で助ける(救う)には,
捕った魚を毎日与えるのではなく,その人たちに

  魚の捕り方 (知恵)

を教える必要がある,と言われているのは,このことだと思う。


聖書は,「心の法則」から見ると,分かりやすい。

「地獄」の意味

海外のフォーラムで,「ものみの塔」誌 2008年5月1日号の

 「聖書の良い翻訳―どのように見分けられますか

という記事が紹介されて議論されていたので,少し,その記事を私も読んでみた。

日本語:
http://watchtower.org/j/20080501a/article_01.htm

英語:
http://watchtower.org/e/20080501a/article_01.htm


その中に,次のような文章が書かれている。


「教理上の先入観が訳文に影響する場合もあります。
 例えば,一般に「良いたより聖書」と呼ばれる「今日の英語訳」では,
 イエスが追随者たちにこう言ったことになっています。

 「狭い門を通って入りなさい。
  地獄への門は広く,そこに至る道は歩きやすく,その道を行く人は多いからです」。
  (マタイ 7:13)

 マタイの記述にははっきり「滅び」とあるにもかかわらず,
 「地獄」という訳語が当てられています。
 なぜそうしたのでしょうか。
 それは翻訳者たちが,邪悪な人は滅ぼされるのではなく,
 永久に責め苦に遭うという考えを擁護したかったからでしょう。」

 「ものみの塔」誌 2008年5月1日号 22ページ。



さて,この点に関してなんですが,
確かに,「地獄」という訳語は,翻訳者の頭の中に,
その種の考えがあったのかもしれないと思う。

ただし,「心の法則」の観点から,この「今日の英語訳」(TEV)の翻訳を読むと,
それほど悪くない,と個人的には感じる。

というのは,「心の法則」では,聖書の記述は,ことごとく
象徴」「比喩」ととらえるからだ。

そのような観点から,この「今日の英語訳」(TEV)の翻訳を見れば,「地獄」とは,

 「そのような心の状態

という意味になる。

そのようにとらえる場合,はっきり言って,「地獄」という訳語は,決して悪くはない。
むしろ,「滅び」という訳語は,その種の考えを阻害するかもしれない。


かえって,「滅び」という訳語のほうが,悪いかもしれない。
というのは,エホバの証人の場合,ご存じのように,
ハルマゲドンでの滅び」(=永遠の滅び)という教えを信じてるからだ。

確かに,エホバの証人は,「地獄の恐怖からは人々を解放したと思う。
しかし,・・・
実際には,その「地獄」の恐怖に代わって,
ハルマゲドンでの滅び,という“脅しにシフトしただけだった。

こういうやり方は,「卑怯」だと私は思う。


昔から,偉大な精神的指導者たちは,「地獄」というのは
象徴」だということに気づいていた。
だから,仏教では,天台大師が「一念三千」ということを教えて,
一念」という一瞬の思い(心)の中に,
十界のすべてが備わる,と教えたのだ。

(「十界」とは,「地獄界」「餓鬼界」「畜生界」「修羅界」「人間界」「天上界」,
 そして,「声聞界」「縁覚界」「菩薩界」「仏界」のこと。)


実際,エホバの証人でさえ,啓示の書に出てくる「火の湖」とは,
象徴」であると言ってるではないか。

文字どおりの”「地獄」を信じてる人など,今日,ほとんどいない。
もし,いるとすれば,「新興宗教」か「ファンダメンタリスト」くらいのもんだろう。
21世紀の現代に生きる我々の科学的な思考が,その種の考えを「拒否」するからである。


すでに,このブログや,うちの掲示板で何度か引用しているが,
日蓮という人も,今から700年前に,こう述べていた。


「夫(そ)れ 浄土と云(い)うも 地獄と云(い)うも
 (ほか)には候(そうら)はず
 ただ我等がむねの間にあり
 これをさとるを仏(ほとけ)といふ,
 これにまよ(迷)ふを凡夫(ぼんぷ)と云(い)う」

(日蓮聖人著「上野殿後家尼御返事」 53歳の時の著述)



また,こうも述べている。


「抑(そもそも)地獄と仏とは いづれの所にとたづね候(そうら)へば,
 或(あるい)は地の下と申す経文もあり,
 或は西方(さいほう)等と申す経もしかれども
 委細(いさい)にたづね候(そうら)へば
 我等が五尺の身の内に候とみへて候(そうろう),
 さもやをぼへ候事は我等が心の内に父をあなづり母を愚かにする人は
 地獄(そ)の人の心の内に,・・・
 仏と申す事も 我等の心の内に をはします

(日蓮聖人著「十字(むしもち)御書」)




マーフィー博士も,こう述べている。


「天国も地獄もどこかよそにあるわけではありません
 人が毎日考えていることによって
 いまここに天国も地獄もつくり出されるのです。」

 (「マーフィー 値千金の1分間」 三笠書房(知的生きかた文庫),1995年。195ページ。)







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道元の言葉 (強い願いはかなう)

大乗仏教の中に,「曹洞宗」(そうとうしゅう)という宗派がある。
ただひたすら座禅をする(それを「只管打坐(しかんたざ)」という)
という教えの宗派である。

日本におけるその宗派を開いた人は,「道元」という人である。
福井にある「永平寺」が,とても有名である。


私は,禅宗のことは,あまりよく分からない。
その教えも,あまり読んだことはない。

ただ,「道元」という名前だけは良く知っていて,
その人が,「正法眼蔵」(しょうぼうげんぞう)とか
正法眼蔵随聞記」という書物を書いた人だということは知っている。
(正確には,その弟子が記したようだが・・・。)

その書物の中に,「道元の言葉」として,次のように記されている。


「先(ま)づ(ただ)欣求(ごんぐ)の志(こころざ)しの切(せつ)なるべきなり
 譬(たと)へば重き宝をぬすまんと思ひ,
 強き敵をうたんと思ひ,
 高き色にあはんと思ふ心あらん人は,
 行住座臥(ぎょうじゅうざが)ことにふれおりに隨(したがっ)
 種種の事は かはり來(きた)るとも,其(そ)れに隨(したがい)て
 (すきま)を求め 心に懸くるなり
 この心あながちに切なるもの,とげずと云ふことなきなり。」

 正法眼蔵随聞記

 Google ブック検索



いくつか難しい言葉が出てくるので,説明しておく。

欣求」(ごんぐ)とは,喜び求めること,願い求めることである。

高き色」とは,ここでは,「高貴な美人」という意味である。
たぶん,ものすごい「きれいな女性」(美しい人)という意味なのだろう。

行住座臥」(ぎょうじゅうざが)とは,
「行」とは「歩行すること」,
「住」とは「ひとところにとどまって立つこと」,
「坐」とは「すわること」,
そして,「臥」とは「横にねること」である。
つまり,日常の動作のことだ。


それゆえ,この言葉の意味は,こうである。

「まず第一に,心から願い求めるという志が切なるものでなければならない
 
 たとえば,大切な宝を盗もうと思い,
 あるいは,強い敵を討とうと思い,
 あるいは,高貴な美人の女性を自分のものにしようと思う人は
 歩いていても,立っていても,座っていても,横になって寝ていても,
 ことにふれ,折あるごとに
,いろいろ事情は変わっても
 その時々に機会(チャンス)を求め,心にかけるものである
 
 その気持ちが並外れて切なる人の思いは
 遂げられない(願いがかなわない)ということはない。」



道元は,「思いが強ければ,その願いは必ずかなう
と教えてくれている。


しかも,この「たとえ」が実に面白いと思う。

「宝を盗もう」という考えは,はっきり言って「悪いもの」だろう。

また,「美しい女性を手に入れたい」と思うのは,
当時の出家した仏教の僧侶にとっては,あまり,いいことではなかったかもしれない。

しかし,ここでは,その願い(思い)が「良い」か「悪い」かは,まったく考慮してない

ただ,道元は,“常に”心に抱いている考えは,
しかも,その想いがものすごく強い場合には
その願いを遂げられないということはない,と教えてるのだ。


途中で「あきらめる」か,
「やっぱ,自分には無理だ」と思うか,

それとも,「やっぱり,どうしても欲しい」と思うか,
そして,それを得るまで,がんばり続けるのかは,
まったく,その人の自由である。


ただ,道元は,

 「この心あながちに切なるものとげずと云ふことなきなり

と述べている。

これは,鎌倉時代に悟りを開いた,一人の「高僧言葉である。
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「華厳経」の言葉

大乗仏教の経典に「華厳経」(けごんきょう)という名の教典がある。
そこに,次のような興味深い言葉が書かれているので,ここに引用してみる。


は工(たくみ)なる画師(えし)(ごと)
 種種の五陰(ごおん)を画(えが)く
 一切世間の中に法として造らざること無し
 心の如く仏も亦(また)爾(しか)なり
 仏の如く衆生(しゅじょう)も然(しか)なり
 三界(さんがい)唯一心(ゆいいっしん)なり
 心の外(ほか)に別の法無し
 心(しん)仏(ぶつ)及(およ)び衆生(しゅじょう)是(こ)の三(みつ)差別無し」

 華厳経



この中に,「五陰」とかっていう難しい言葉(仏教の専門用語)が幾つか出てくるが,
それらの難しい言葉を無視して,ものすごく「シンプルに」この言葉を理解すると,
すべての物事をつくり出してるのは「」だ,ということである。

心は工なる画師の如く」とある。
(漢文は,「心如工画師」(しんにょくえし)と読む。)

心は,まるで,たくみな「画家」のように,
自分の思いのままに,どのようなものでも

 「思い描く

ことができ,そして,それを,実際に,
現実世界に表出させる(実現させる)力がある。

実際,どのような発明も,建物も,乗り物も,大企業も,
皆,「最初は,その人の心の中にしか」存在しなかった。
しかし,誰かが最初にその「夢」を持ち始め,それを「想像」し,計画し,設計し,
目標をたて,努力し続け,人々の協力を得て,ついに実現してしまった。
「月に行く」ことさえ,最初は,単なる「想像」(空想)にすぎなかった。

しかも,「華厳経」は,世界(三界)は

 「一心なり 心の外に別の無し

とまで言い切っている。
つまり,「それしかない」と言ってるわけだ。


これも,そこで言わんとしてることは,マーフィー理論で言うところの
心の法則」そのものではないだろうか。

昔から,たぶん,賢人(精神的指導者)たちは皆,
そのことに「気づいていた」のかもしれない。
「心」から,「一切のもの(物事)」が生じてくることを。

そして,仏教では,
色心不二」「依正不二」(えしょうふに)の原理に従って,
(内面)が変われば,
外面(外の体や環境,状況)さえも変わってしまう
のである。
http://godpresencewithin.blog86.fc2.com/blog-entry-17.html


聖書も,様々な象徴的表現でもって,
まったく同じことを,私たちに教えてくれてるのだと私は思う。

イエスは,こう言われた。

「あなたのご意志が天におけると同じように
 地上においてもなされますように」
 -マタイ6:9。


と。

」とは,神(内なる神)の住まう場所,
すなわち,私たちの「内面」()を指している。

そして,「」とは,その対義語,
すなわち,「外面」(私たちの「外」にあるもの)を指している。

つまり,これは,私たちの「に思い描いたとおりに
「外面」でも,それが実現しますように,との祈りである。


あなたの「夢」は何だろうか。
それが何であれ,その夢が実現するところを想像してみよう
そして,あなたの愛する人が,あなたに
おめでとうと言ってる場面を,想像してみよう

そう。
心は工なる画師の如く」(「心如工画師(しんにょくえし)」)である。

あなたは,自分の「,何を描くのだろうか。
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思ったことを,どんどん書いてみる

ブログというのは,なんか「遠慮してると書けないもんだね。

どっちみち,このブログは,見る人は少ないし,
自分では,「いいことを書いた」と思っても,
コメントしてくれる人も少ないから,
これからは,自分で何でも思ったことを素直に書いてみようと思う。


以前,「依正不二」について述べたところのコメントで,
私は,次のように言った。

「それゆえ,日蓮は,自分の「」にある仏,
たとえば,阿弥陀仏のような西方極楽浄土に住む仏に頼り,
それが助けてくれるなどと,おとぎ話のようなことを教える浄土宗などを,
厳しく批判したんだと思います。
それによって,「正報」(主体である自分)が弱くなってしまうからです。

本当は,仏は,「私たちの胸の中にいる」と日蓮は教えます。
だから,本尊とする曼陀羅は,崇拝の対象というよりも,
自分の「心の中」を徹底的に見つめる「観心」という修行の一環で,
「南無妙法蓮華経」とは,「自分の中にいる仏への呼びかけ」だったのです。

それは,「自分の中の仏よ,目覚めよ! 私に力を与えたまえ
ということなのだろうと私は思います。
それらはすべて,「強い自分という主体を確立する」ための方法だったのです。

日蓮という人は,やっぱり,すごい人だと私は思います。」

http://godpresencewithin.blog86.fc2.com/blog-entry-17.html




この説明は,私の中の日蓮の「本尊論」
(日蓮の書物を読んで,私がそう理解したもの)だったのですけども,
日蓮の書物に,次のように書かれているのを発見したので,
やはり,「私のこの理解の仕方は間違っていない」と思いました。
それを引用してみる。

彼(日蓮)は,こう述べていた。


我が己心妙法蓮華経を本尊とあがめ奉(たてまつ)りて
 我が己心中の仏性(ぶっしょう)
 南無妙法蓮華経とよびよ(呼)ばれて
 (あらわ)れ給(たも)う処(ところ)をとは云うなり,・・・
 口に妙法をよび奉(たてまつ)れば
 我が身の仏性もよ(呼)ばれて必ず顕れ給(たも)ふ」

 日蓮聖人著「法華初心成仏抄」 56歳の時の著述




これは,何度も言うようだけど,「奥が深い」と私は思います。

日蓮が言うところの「本尊」(妙法蓮華経)とは,
我が己心の中にある,と彼は言ってるわけです。

己心」(こしん)とは,読んで字のごとく,
自己の心」,「我が心」のことです。

または,「我が生命それ自体を意味する場合もある」と,
「仏教哲学大辞典(第三版)」は述べている。
(創価学会,2000年。1889ページ。)


これは,はっきり言って,他の宗教とは,教えが明確に異なるように私には思える。
というのは,「自分の「外」にあるものを本尊(仏)とするのではないからだ。

「自分の生命」,
「自分の中」,
「自分の心に」,本尊(仏)を見るのである。


ここで言ってることは,完璧に「心の法則」を述べている。
すなわち,「内なる神」である。

言葉や説明の仕方は異なれど,
言ってることは,まさに,

 「内なる神
 (God presence within you

に言及してる。

単に,マーフィー理論で言うところの「内なる神」(無限の力,生命の本源)を,
彼は,「妙法蓮華経」と表現してる,というだけの違いである。
(だから,「南無妙法蓮華経」とは,それに「南無」する,
 つまり,「自分の中にある『生命の本源』を私は信じる」という信仰告白である。
http://xbbs.knacks.biz/possible01#a845


日蓮は,まさに,すごい僧侶だったと私は思う。

彼は,「私たちの中に」本尊がある
と教えてくれているのだから。
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アリア・ディ・メッツォ・カラッテーレ(ファイナル・ファンタジー6)
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