元エホバの証人一世、possibleの“独り言”的ブログ

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「ナマステ」という挨拶と,「内なる神」

インドやネパールで交わされる「挨拶の言葉」に,

 「ナマステ


という言葉がある。

これは,ヒンディー語,あるいは,ネパール語で,
こんにちは」という意味である。

しかし,これは,会った時だけでなく,
「別れ」の際にも使える言葉なので,実際には,
おはよう」「こんにちは」「こんばんは」「さようなら
という意味である。
http://www.aresclan.com/tokutei.html

だから,これは,ヘブライ語で言うと,
シャローム」(平安がありますように)と同じように,
一日中,いつでも使える「挨拶の言葉」である。

それさえ覚えておけば,きちんと「挨拶」できるので,
ある意味,「便利な」言葉である。


さて,この「ナマステ」という言葉。
この言葉を使う時の動作は,大抵,
日本で言う「合掌」(がっしょう)の形をとる。

つまり,顔や胸の前で
両方の手のひらを合わせ
拝む」(お辞儀をする)である。
http://www.shj.or.jp/seclabo/images/nep0210/np0210_18.jpg

この挨拶の仕方は,たとえ,そのインド人やネパール人が
エホバの証人であっても,同じである。


さて,この「ナマステ」。
元々は,「ナマス」と,「」という言葉の合成語である。

ナマス」とは,日本語では「南無」(なむ)という言葉で伝わっており,
~に敬礼します」「~に帰命します」「礼拝します」という意味がある。

この「ナマス」の意味については,つい先日,
オーム・ナマ・シヴァーヤ」という,
インドにおいて最もポピュラーな「マントラ」(真言)の意味を
説明した際に,言及したばかりである。
http://godpresencewithin.blog86.fc2.com/blog-entry-59.html

その「マントラ」(真言)の意味は,

 「シヴァ(内なる神に帰依します

という意味であると説明した。



では,今,「ナマステ」の意味を考えてみよう。

「ナマステ」とは,実際には「ナマス・テ」で,
ナマスする(帰依します)
と言ってるのである。

では,この「とはどういう意味か


ナマステ」という言葉は,ヒンディー語,あるいは,ネパール語であるが,
元々は,古代インドの言葉である「サンスクリット語」から来ている。

そのサンスクリット語で「」とは,

 「あなたに

という意味である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%86

つまり,「ナマステ」とは,文字どおりには

 「あなたに帰依します

と言ってるのである。


これを,もう少し,日本人にもわかりやすく言うと,

 「あなたに南無します


と言ってるのである。

日本人が,「南無阿弥陀仏」とか「南無妙法蓮華経
と念仏や題目を唱える感覚からすれば,
それが,どれほどすごい言葉だか,分かるであろう
つまり,

 南無あなた


と言ってるのだ。

相手が,それほどの「敬意」を払って,挨拶してくれてるのである。
しかも,相手の動作は,「合掌」である。

だから,相手が,そのように挨拶してくれたら,
あなたは,それを「嬉しく思う」のではないだろうか。
だから,こちらも,同じ動作で「ナマステ」と返す。


しかし,この「南無あなた」の「あなた」とは,
単なる外見上の,目に見える「あなた」という意味ではない。

実際には,

 「あなたの内なる神に」,ご挨拶申し上げてる

のである。


しかし,実際には,さらに,それ以上の意味である。
つまり,

 「私の内なる神(真我,仏性)
  あなたの内なる神
(真我,仏性)に,
  ご挨拶申し上げる


という意味なのだ。

だから,「合掌」してるのである。


こう考えると,「ナマステ」という挨拶,
単なる「挨拶の言葉」だと思ったら大間違いである。

あなたは,このインド流の挨拶の仕方に,
すごさ」を感じないだろうか。
そして,その「素晴らしさ」を感じないだろうか。


今度,あなたが,誰かと会う時,
その人の中の神性」に向かって,挨拶してみよう。

もちろん,相手を「神のようにあがめる」のではなく,
また,自分が「相手よりも劣ってる」と感じるのでもなく,
自分の中の神性」(内なる神)
相手の中の神性に,ご挨拶申し上げるのである。


では,この記事の最後に,
私からも,皆さんへ。

ナマステ



Namaste! (I bow to the divine in you.)





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「マントラ」(真言)と「内なる神」

世界の様々な宗教,特に,東洋の宗教には,
神々や仏の名を唱える「マントラ」という行為が伝わっている。

マントラ」とは,元々は,サンスクリット語(梵語)の言葉であり,
般若宗・空王寺の碧海龍雨(あおみ りゅう)氏によれば,
「意念」を表す「マン」と,「器」を表す「トラ」の複合語で,
意念の器」という意味だそうである。
http://www.hannya.net/mantra.htm

だから,その唱える言葉(文章)は,「無意味な言葉」を並べてるのではなく,
本来,ちゃんと,「意味が込められているのである。

ウィキペディアによれば,本来的には「文字」「言葉」を意味する。

一般には,「真言」(しんごん)と訳され,
また,似たような言葉で,「陀羅尼」(だらに)と言われることもある。

一般には,一種の「呪文」みたいなものと思われていて,
その「言葉」(響き,波動)自体に,力があるとされる。


日本においては,弘法大師空海の開いた真言宗
その「マントラ」(真言)を,サンスクリット語(梵語)の音を
そのまま「音写」した漢字という形で日本に伝えた。

(真言宗が,「原語の宗教」と言われるゆえんは,ここにある。
 サンスクリット語(原語)のまま,真言を唱えるからである。
 一般の日本人には理解不能のため,「密教」とも言われる。)

そして,他宗派においては,たとえば,
親鸞の開いた浄土真宗では,「念仏」(南無阿弥陀仏)を,
日蓮聖人の開いた日蓮宗では,「題目」(南無妙法蓮華経)を唱えるが,
これらもまた,元々は,日本に伝わった大乗仏教の中の
数ある「マントラ」(真言)や「陀羅尼」の中の一つであったのであろう。


また,神道においても,「祝詞」(のりと)を唱えるし,
また,「言霊」(ことだま)と言って,
「言葉そのものに,霊的な力が宿る」と信じられている。


さて,イエス・キリストは,その「山上の垂訓」の話の中で,

 「しかし,祈る際には,諸国の人々がするように
  同じことを何度も繰り返し言ってはなりません
  彼らは言葉を多くすれば聞かれると思っているのです。」
  -マタイ6:7。[新世界訳]

と言われて,一見,この「マントラ」のようなものに言及してる
ように思えるが,具体的にそうだと述べてるわけではなく,
そこらへんは,よく分からない。

そもそも,そのように教えたあとの「主の祈り」は,
現在でも,「そっくりそのまま」祈るクリスチャンもいるし,
イエス自身,ゲッセマネの園において,何度も同じ言葉を繰り返された

そもそも,マントラとは,元々,「意味のある言葉」で,
その意味のある言葉を,「その意味も理解せず」,
「無意味に」繰り返す人たちのことを,いましめているともとれる。

聖書自体,ローマ10:13(ヨエル2:32)その他の箇所において,
主の名を唱えることを勧めている。

(そもそも,バラモン教の「称名思想」に影響を与えたのは,
 旧約聖書(ユダヤ教)であると言う人もいる。)



さて,「マントラ」自体の説明(前置き)が長くなってしまったが,
実は,私が今日,何が話したいのかと言うと,
インドにおいて,ものすごく有名で,ポピュラーな,
一つの「マントラ」を紹介したいのである。
そして,その「意味」を,少し,解説してみたい。

それは,こういう「マントラ」(サンスクリット語)である。

 「オーム・ナマ・シヴァーヤ






このサンスクリット語の意味を説明する。

オーム」・・・簡単に言えば,「ブラフマン」のことで,究極の神(根源)を表わす聖なる音。

ナマ」(あるいは,ナマハ)・・・「~に敬礼します」「~に帰命します」「礼拝します」の意。
 「ナマス」という言葉の変化形で,日本語では「南無」(なむ)という漢字で伝わっている。     

シヴァーヤ」・・・「シヴァへ」(シヴァ神へ)の意。「○○+アヤ」で「○○へ」という意味。
 「シヴァ」とは,「吉兆」「慈悲深い」「親切」「友好」「幸運」「満足」「解脱」という意味がある。

http://blog.sitarama.jp/?eid=592583
http://ameblo.jp/milione/entry-10446316811.html




ファンダメンタリスト的な思考しかできない人は,
なんだ,「シヴァ神に帰依しますという意味か
と単純に思って,何の思考もなく,反射的に退けるだけかもしれないが,
ことは,そう単純ではない。

あるサイトでは,この「シヴァ」の意味について,こう説明されている。

「これは、他のすべての存在の源と考えられ、他者と切り離された神ではなく、
 すべての人の中心に内在している神とされています。
 シヴァは、外部にあるわけでもなく、あなたと切り離されたものでもなく、
 むしろ、あなたの心の中心に存在するものです。」

http://sitarama.jp/?mode=f6


この説明は,もう完全に,「心の法則」で言うところの
内なる神」(I AM)と同じ意味である。

また,仏教で言うところの「九識心王真如の都」と同じ意味である。
http://godpresencewithin.blog86.fc2.com/blog-entry-51.html
http://godpresencewithin.blog86.fc2.com/blog-entry-38.html


また,スワミ・スブラムニヤスワミは,次のように述べている。

オーム・ナマ・シヴァーヤがこのように価値あるマントラであるのは、
 それが真我から心へと流れている音に最も近いためです。
 それは真我(つまりはシヴァあなたの内なる神ハイヤーセルフ
 へと至る確実な道であるため、オーム・ナマ・シヴァーヤを唱えることは
 意義深いことなのです。」

http://sitarama.jp/?mode=f6


この説明も,実に興味深いと思う。

要するに,簡単に言えば,「オーム・ナマ・シヴァーヤ」とは,

 私の“内なる神”を信じます

というマントラ(真言)なのだ。

その「意味を理解しながら」唱えるから,力を持つのである。


このマントラも,「心の法則が分からないと,その真意を全く理解できず,
ファンダメンタリストのように,「なんだ,シヴァ神に帰依しますという意味か
と思うだけであろう。

そして,そのような「陳腐な」,また,「皮相的な」概念で,このマントラを見る時,
そこで言うところの「シヴァ神」とは,もちろん,
自分のにいる神」であろう。
http://sebastian-company.com/india-gods/shiva.htm


しかし,それが実際に教えてるのは,

 「“真我”への帰依

なのである。
http://godpresencewithin.blog86.fc2.com/blog-entry-53.html

その真意を理解した時,この「マントラ」は,きっと力を持つだろう。

そして,それは,今から700年前の この日本において,日蓮聖人が
私たちの中に本尊がある,と教えてくれてたことと共通している。
http://godpresencewithin.blog86.fc2.com/blog-entry-23.html


もちろん,キリスト教徒であろうと,ヒンズー教徒であろうと,仏教徒であろうと,
ファンダメンタリスト」と呼ばれる人たち,
(聖典を「文字どおりに」解釈する人たち)は,存在する。

しかし,ファンダメンタリスト的な解釈では,
たぶん,どの宗教でも,どの聖典でも,
また,どんな神を選んでも有害」になりうる。


今日,ここで説明した「マントラ」でさえ,
「文字どおりに」解釈して,いったいどんな益があると言うのだろう。

単に「退ける」か,「くだらない」と言うか,
あるいは,「シヴァ神の熱心な信徒になる」以外にはないであろう。



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