元エホバの証人一世、possibleの“独り言”的ブログ

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「八万四千の法蔵は 我身一人の日記文書なり」 by 日蓮

さて,昨日書いた記事に対して,「誰の反応もない」(笑)ところで,
次の話題に行きたいと思う。

昨日は,旧約聖書の一つの聖句の「象徴的な意味」を説明するにあたって,
私は,次のように述べていた。

「マーフィー理論では,このように,聖書は象徴的に
 「心の法則を(私たちの内面」,「心の働き」について)教えている」
 と教える。」



と,このように私は,掲示板でもブログでも,何度も述べてきているのだが,
この意味が今ひとつ分からない」という人のために,
ここで,ある日本人が,今から700年以上前に述べてた,
非常に興味深い言葉を紹介してみたいと思う。

その日本人とは,あの日蓮宗を開いた「日蓮聖人」である。
(常識なので,分かってるとは思うけど,一応述べておくと,
 「聖人」は,「せいじん」ではなく,「しょうにん」と読みます。)

彼は,象徴的に「八万四千」(はちまんしせん)とも言われる
仏教の膨大な数の教典に関して,次のように述べていた。
(「ふりがな」を付けておいたので,よ~くその意味をつかみながら,読んでみていただきたい。)

「此(こ)のの一法(いっぽう)より国土世間も出来(しゅったい)する事なり,

 一代聖教(しょうきょう)とは 此(こ)の事を説きたるなり

 此(こ)れを 八万四千(はちまんしせん)の法蔵とは云うなり
 
 是(こ)れ皆 (ことごと)一人の身中(しんちゅう)の法門にて有るなり,
 
 然(しか)れば 八万四千(はちまんしせん)の法蔵は 我身(わがみ)一人の日記文書(もんじょ)なり
 
 此(こ)の八万法蔵を 我が心中に(はら)み持(たも)懐(いだ)き持(たも)ちたり
 
 我が身中(しんちゅう)の心を以(もっ)て
 と 法と 浄土とを 我が身より(ほか)に思い願い求むるを 迷いとは云うなり

(日蓮聖人著「三世諸仏総勘文教相廃立」 58歳の時の著作)



この日蓮聖人の言葉,何度も繰り返し読んで,
その意味を,おぼろげながらも つかむと,
その「重要性」が,だんだん分かってくるのではないかと私は思う。

私が,ものすごい意訳
この日蓮聖人の言葉を言い換えれば,こういうことである。

「すべてのものは,「心」から出てくる。
 仏教の経典というのは,実は,このことを教えているのである。

 釈尊の言葉(膨大な仏教の経典)も,ひとりの人の「内面」について教えている。
 だから,実際には,それらの教典は,私たちひとりひとりの「日記文書」なのだ。

 この教典の教えは,実際には,私たちの「内面」について教えているので,
 その中に出てくる「仏」とか「浄土」というものを
 どこか自分の「外」にあるものと思うことを,仏教の言葉で「迷い」と言うのである。」


ということだろうと思う。

どうだろう。
この私の「意訳」で,日蓮聖人の言葉が,「すごい」って分かるだろうか。


さて,日蓮聖人にとっては,「仏教の経典」がそうだったように,
クリスチャンにとっては,「聖書」がそうなのだ。

つまり,聖書は,実際には,私たちの「日記文書」なのである。
あなたは,ことことに,今まで気づかなかっただろうか。

簡単に言えば,そこには,象徴的に「私たちのこと」が書かれており,
私たちの内面」(心の働き)について教えてくれてるのである。


また,日蓮聖人にとって,「」とか「浄土」がそうであったように,
クリスチャンにとっては,「」とか「天国」が,そうなのだ。

つまり,私たちの「どこかにあるというものではないのだ。




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「詩編37編25節」の意味

今まで,だいぶ,ブログのほうは,ほうっておいていたのだが,
なんか,私の気づかないうちに,コメントをいただけてたようで,
ちょっとまた「更新」をしたいな,と思うようになってきた。

コメントがあると,やっぱ,「やる気」が出てくるよね。(笑)
人間というのは,実に不思議なもので。


さて,今日は,「マーフィー理論」(心の法則)の観点から
旧約聖書の「詩編37編25節」の聖句の意味について,
述べてみたいと思う。

その「詩編37編25節」とは,こういう聖句である。

「わたしはかつては若者であったが,わたしもまた年老いた。
 だが,義なる者が完全に捨てられるのを見たことも,
 その子孫がパンを捜し求めるのを[見たこと]もない。」

 -詩編37:25。[新世界訳]



この聖句は,エホバの証人の間では,神の組織と共に忠実であるならば,
神が必ず顧みてくださる」ということの保証として使っている。

それは,もちろん,聖書の言葉を「文字どおりに」とらえた場合の,
それなりに納得できる「解釈」の一つであろうと思う。


しかし,今日は,その,エホバの証人の間ではよく知られている聖句に関して,
マーフィー博士が,「心の法則」の観点から,聖書の「象徴的な意味」を
説明してくれてる部分があるので,そこから引用して示してみたいと思う。

マーフィー博士は,こう述べている。

「「私は若かった」とは私は心の法則を理解しなかったということを意味し
 「今,年をとった」とは知の始まりを意味しています。
 
 あなたが精神的に賢くなり,自分の心の働きを理解すれば
 正義(生命の法則の正しい利用法)は
 決して忘れ去られることはありません。・・・

 もし,両親と先生が心の法則と永遠の真実を若者に教えるならば,
 彼らの子供は決してパンを乞わなくなるでしょう

 
 これはこれらの子供たちは決して乞食になったり,浮浪者になったり,
 泥棒になったり,世界の専制君主になったりしない
 ということを意味しています。
 
 言い換えれば,あなたの子供たちは,
 それらの信念に満たされるであろうということです。」

(ジョセフ・マーフィー著「成功とツキをもたらす黄金律」 騎虎書房,1993年。245ページ。)




この説明に納得するかどうかは,それぞれの人の判断におまかせするけれども,
マーフィー理論では,このように,聖書は象徴的に
心の法則を(私たちの「内面」,「心の働き」について)教えている」と教える。

もし,今までの「ファンダメンタル」的な,聖書を「文字どおり」に解釈することに,
何か不満や不足を感じることがあるのなら,
たまには,マーフィー博士の本を読んでみるのも,新鮮で,いいのではないだろうか。

やがて,そこに,なにか興味深いことを発見し,
今までとは違った観点で
聖書なり,また,他の聖典を見れるようになるかもしれない。


たぶん,このブログでも何度も取り上げてきたとおり,
その「心の法則」の観点から,聖典を「象徴的に」読めるようになる時,
恐らく,そこに,なにか「共通のもの」があることを発見するであろう。

もし,あなたが,その「共通のもの」を発見した時には,
どうか,あなたのその貴重な知識を分け与えていただきたい。

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