元エホバの証人一世、possibleの“独り言”的ブログ

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「無我」とは?

さて,今まで,「仏教」と「心の法則」(マーフィー理論)の“共通点”について,
私の理解してる範囲で説明してきた。

その「共通点」の中には,

 「自分以外のものに頼るな!
 (本当に(究極的に)頼れるものは,“自分”しかいない。)


という点があると思う。

そして,どちらも,“自分の中に
」,あるいは「」(内なる神)がいる,と教える。

「仏教」では,それを「九識心王真如の都」(アマラ識,阿摩羅識,仏性など)と表現し,
「心の法則」では,「I AM」(本当の自分内なる神)と表現したりする。


しかし,初期の仏教(原始仏教)では,

 「無我」(むが)


と言って,心の法則で言うところの「I AM」(内なる神)を否定しているように思える

実際,この「無我」の「」というのは,
サンスクリット語(梵語)で「アートマン」(aatman)と言い,
その「アートマン」()とは,実質的には,
バラモン教(古代ヒンズー教)の究極の神「ブラフマン」のことを指す。

宇宙の中のすべてのものは,その「ブラフマン」から生じたと教え,
その「ブラフマン」(梵)と自分の中の「アートマン」()が
一体(梵我一如)になることによって解脱を目指すことを,
バラモン教(古代ヒンズー教)では教えた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%95%E3%83%9E%E3%83%B3


釈尊は,その「アートマン」(= ブラフマン)を否定し
それに「否定」の言葉(An)をつけて

 "anaatman"「アナートマン」(サンスクリット語)

と表現した。
それを日本語に訳すと,「無我」(あるいは,「非我」)となるのである。

だから,「無我」とは,単に,「我(自我)を消す」という意味ではなく,
実際には,アートマンの否定(アナートマン,anaatman),
つまり,バラモン教を否定してるのである。


釈尊が,なぜバラモン教を否定したのかは,私にはよく分からないが,
当時の事情(背景)を考慮すると,おそらく,
当時の厳格な「カースト制度」(身分制度)に対する批判や,
その宗教制度の「最高位」に位置して,人々を牛耳っていた
祭司級」(バラモン)を否定するためではないかと推測する。

実際,その祭司級は「ブラーフマナ」と呼ばれ,
それは,その神「ブラフマン」(アートマン)と,実質,同じ意味である。
あるいは,ブラフマンと一体(梵我一如)の存在であると考えられていた。

だから,釈尊が「無我」(アナートマン)と表現した時,
そこには,バラモン教の「祭司級」や「身分制度」(カースト)などを
否定(拒否)する意味も含まれていたのだと思われる。

(あるいは,断定するわけではないが,初期の仏教は,その「無我」説により,
 「輪廻」や「業」(カルマ)や「神々」の存在も否定したの“かも”しれない。
 釈尊は,現代的に言えば,「科学的に物事を考える人」であり,
 その種の考えは,釈尊にとっては「非科学的」なものだったと思われる。)


さて,こうして,初期の頃(小乗仏教)には,
いったん,バラモン教を否定するために「無我」(アナートマン)
と教えた釈尊の教えも,後の「大乗仏教」(特に天台宗や日蓮宗)になると,
やや,違う風になってくる。

「大乗仏教」では,アートマン(我)のさらに奥(内側)に,

 大我(たいが),あるいは,真我(しんが)

と呼ばれるものがあると教える。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%91

サンスクリット語(梵語)では,それを
パラマートマン」 (parama-aatman)と言うらしい。


私たちの「」(内面)を分析すると,
一番上の表層には,「エゴ」(自我)というものがあり,
その奥に,「アートマン」(実我)があり,
さらにその奥には,「パラマートマン」(大我真我)がある。

仏教は,その「エゴイズム」(自我)や「アートマン」(実我)を否定して
無我」と教え,この「無我」の姿勢(境地)こそが,
そのさらに奥にある大我」(真我,パラマートマン)
の発見(発揮)につながると教える。
(この「無我の境地」になるために,たとえば禅宗では「座禅」(瞑想)をしたりする。
 ちなみに,座禅の時には,人間の脳は「α波」になることが知られている。)


興味深いことに,この「無我」は,
サンスクリット語では「アナートマン」という言葉であることは説明したが,
パーリ語では,「無我」は,

 「アナタ」(anatta

と言うのである。

そう。

 あなた

である。


 「無我」 = 「アナタ」(パーリ語)


という「関連性」は,日本語の持つ響きでないと
分かりづらいものがあるようにも私には思える。
(私の個人的な意見です。)


あなたが,普段,表層意識において「わたし」(我,自己)
として認識してる自分の「内面」を深く見つめ,
その奥にあるものを深く探っていくと,そこには

 「本当のあなた」(真の自己

と呼べるようなものが存在するのである。

それこそが,仏教で言うところの「九識心王真如の都」(アマラ識,仏性)であり,
心の法則(マーフィー理論)で言うところの「I AM」(内なる神)なのである。



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