元エホバの証人一世、possibleの“独り言”的ブログ

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「マントラ」(真言)と「内なる神」

世界の様々な宗教,特に,東洋の宗教には,
神々や仏の名を唱える「マントラ」という行為が伝わっている。

マントラ」とは,元々は,サンスクリット語(梵語)の言葉であり,
般若宗・空王寺の碧海龍雨(あおみ りゅう)氏によれば,
「意念」を表す「マン」と,「器」を表す「トラ」の複合語で,
意念の器」という意味だそうである。
http://www.hannya.net/mantra.htm

だから,その唱える言葉(文章)は,「無意味な言葉」を並べてるのではなく,
本来,ちゃんと,「意味が込められているのである。

ウィキペディアによれば,本来的には「文字」「言葉」を意味する。

一般には,「真言」(しんごん)と訳され,
また,似たような言葉で,「陀羅尼」(だらに)と言われることもある。

一般には,一種の「呪文」みたいなものと思われていて,
その「言葉」(響き,波動)自体に,力があるとされる。


日本においては,弘法大師空海の開いた真言宗
その「マントラ」(真言)を,サンスクリット語(梵語)の音を
そのまま「音写」した漢字という形で日本に伝えた。

(真言宗が,「原語の宗教」と言われるゆえんは,ここにある。
 サンスクリット語(原語)のまま,真言を唱えるからである。
 一般の日本人には理解不能のため,「密教」とも言われる。)

そして,他宗派においては,たとえば,
親鸞の開いた浄土真宗では,「念仏」(南無阿弥陀仏)を,
日蓮聖人の開いた日蓮宗では,「題目」(南無妙法蓮華経)を唱えるが,
これらもまた,元々は,日本に伝わった大乗仏教の中の
数ある「マントラ」(真言)や「陀羅尼」の中の一つであったのであろう。


また,神道においても,「祝詞」(のりと)を唱えるし,
また,「言霊」(ことだま)と言って,
「言葉そのものに,霊的な力が宿る」と信じられている。


さて,イエス・キリストは,その「山上の垂訓」の話の中で,

 「しかし,祈る際には,諸国の人々がするように
  同じことを何度も繰り返し言ってはなりません
  彼らは言葉を多くすれば聞かれると思っているのです。」
  -マタイ6:7。[新世界訳]

と言われて,一見,この「マントラ」のようなものに言及してる
ように思えるが,具体的にそうだと述べてるわけではなく,
そこらへんは,よく分からない。

そもそも,そのように教えたあとの「主の祈り」は,
現在でも,「そっくりそのまま」祈るクリスチャンもいるし,
イエス自身,ゲッセマネの園において,何度も同じ言葉を繰り返された

そもそも,マントラとは,元々,「意味のある言葉」で,
その意味のある言葉を,「その意味も理解せず」,
「無意味に」繰り返す人たちのことを,いましめているともとれる。

聖書自体,ローマ10:13(ヨエル2:32)その他の箇所において,
主の名を唱えることを勧めている。

(そもそも,バラモン教の「称名思想」に影響を与えたのは,
 旧約聖書(ユダヤ教)であると言う人もいる。)



さて,「マントラ」自体の説明(前置き)が長くなってしまったが,
実は,私が今日,何が話したいのかと言うと,
インドにおいて,ものすごく有名で,ポピュラーな,
一つの「マントラ」を紹介したいのである。
そして,その「意味」を,少し,解説してみたい。

それは,こういう「マントラ」(サンスクリット語)である。

 「オーム・ナマ・シヴァーヤ






このサンスクリット語の意味を説明する。

オーム」・・・簡単に言えば,「ブラフマン」のことで,究極の神(根源)を表わす聖なる音。

ナマ」(あるいは,ナマハ)・・・「~に敬礼します」「~に帰命します」「礼拝します」の意。
 「ナマス」という言葉の変化形で,日本語では「南無」(なむ)という漢字で伝わっている。     

シヴァーヤ」・・・「シヴァへ」(シヴァ神へ)の意。「○○+アヤ」で「○○へ」という意味。
 「シヴァ」とは,「吉兆」「慈悲深い」「親切」「友好」「幸運」「満足」「解脱」という意味がある。

http://blog.sitarama.jp/?eid=592583
http://ameblo.jp/milione/entry-10446316811.html




ファンダメンタリスト的な思考しかできない人は,
なんだ,「シヴァ神に帰依しますという意味か
と単純に思って,何の思考もなく,反射的に退けるだけかもしれないが,
ことは,そう単純ではない。

あるサイトでは,この「シヴァ」の意味について,こう説明されている。

「これは、他のすべての存在の源と考えられ、他者と切り離された神ではなく、
 すべての人の中心に内在している神とされています。
 シヴァは、外部にあるわけでもなく、あなたと切り離されたものでもなく、
 むしろ、あなたの心の中心に存在するものです。」

http://sitarama.jp/?mode=f6


この説明は,もう完全に,「心の法則」で言うところの
内なる神」(I AM)と同じ意味である。

また,仏教で言うところの「九識心王真如の都」と同じ意味である。
http://godpresencewithin.blog86.fc2.com/blog-entry-51.html
http://godpresencewithin.blog86.fc2.com/blog-entry-38.html


また,スワミ・スブラムニヤスワミは,次のように述べている。

オーム・ナマ・シヴァーヤがこのように価値あるマントラであるのは、
 それが真我から心へと流れている音に最も近いためです。
 それは真我(つまりはシヴァあなたの内なる神ハイヤーセルフ
 へと至る確実な道であるため、オーム・ナマ・シヴァーヤを唱えることは
 意義深いことなのです。」

http://sitarama.jp/?mode=f6


この説明も,実に興味深いと思う。

要するに,簡単に言えば,「オーム・ナマ・シヴァーヤ」とは,

 私の“内なる神”を信じます

というマントラ(真言)なのだ。

その「意味を理解しながら」唱えるから,力を持つのである。


このマントラも,「心の法則が分からないと,その真意を全く理解できず,
ファンダメンタリストのように,「なんだ,シヴァ神に帰依しますという意味か
と思うだけであろう。

そして,そのような「陳腐な」,また,「皮相的な」概念で,このマントラを見る時,
そこで言うところの「シヴァ神」とは,もちろん,
自分のにいる神」であろう。
http://sebastian-company.com/india-gods/shiva.htm


しかし,それが実際に教えてるのは,

 「“真我”への帰依

なのである。
http://godpresencewithin.blog86.fc2.com/blog-entry-53.html

その真意を理解した時,この「マントラ」は,きっと力を持つだろう。

そして,それは,今から700年前の この日本において,日蓮聖人が
私たちの中に本尊がある,と教えてくれてたことと共通している。
http://godpresencewithin.blog86.fc2.com/blog-entry-23.html


もちろん,キリスト教徒であろうと,ヒンズー教徒であろうと,仏教徒であろうと,
ファンダメンタリスト」と呼ばれる人たち,
(聖典を「文字どおりに」解釈する人たち)は,存在する。

しかし,ファンダメンタリスト的な解釈では,
たぶん,どの宗教でも,どの聖典でも,
また,どんな神を選んでも有害」になりうる。


今日,ここで説明した「マントラ」でさえ,
「文字どおりに」解釈して,いったいどんな益があると言うのだろう。

単に「退ける」か,「くだらない」と言うか,
あるいは,「シヴァ神の熱心な信徒になる」以外にはないであろう。



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コメント
たしかに
koroさん>
誰も「関心を示さない」ところに,コメントをいただき,ありがとうございます。

確かに,おっしゃるとおり,「オウム真理教」の麻原彰晃氏は,この「マントラ」を教えておりました。
http://www015.upp.so-net.ne.jp/sinzinrui/fs4/334-338.html

それを読むと,ほんとに,当初は,彼は「グル」(師)であったのであろうと思います。
いつから,彼は変わってしまったのでしょうか。

オウム真理教の「オウム」という言葉も,元々は「素晴らしいもの」で,まさに,「真理そのもの」,「根源」を表わす聖なる音です。

よく,「除夜の鐘」とかで,「ゴーン」という音がしますけども,あれは,この「オウム」(オーム)という音を,「人工的に」作り出すためのものなのだそうです。
http://blog.zaq.ne.jp/gita/article/50/

このように,本来,「聖なる音」であったものが,あの「地下鉄サリン」のような事件以来,日本では,「オウム」と聞けば,いやなイメージがつきまといます。

これも,すべて,今,「サムエル第一15章3節」を考慮しておりますが,あのような形で,彼が仏典を「文字どおりに」(ファンダメンタル的に)解釈し,やがて,聖書の黙示録の「ハルマゲドン」の教えも「文字どおりに」受け取るようになり,こうして,だんだんと,おかしくなっていったのではないかと推測できます。


なお,「どの宗教も共通の教え(自分の中にある内なる神)を教えている気がする」という点に関しましては,「まさに,そのとおり」なんだろうと思います。

しかし,日蓮聖人の件にしましても,それは,私が直接に彼の書物を何度も読んで確認してる(私がそう思ってる)ものであって,彼が「内なる神」について教えてると,誰かから教わったものではありません

たぶん,どの宗教も,「共通」のもの,つまり,「内なる神について教えてる」という点につきましては,他の人は,そういう貴重なことは,だれも教えてくれないだろうと私は思います。

そして,それは,聖典を「文字どおり」にしか読めない「ファンダメンタリストたちには理解できません

彼らに理解できるのは,「ああ,シヴァ神への帰依か」とか,「南無妙法蓮華経? ああ,あの偽りの大いなるバビロンのね」という程度のものです。

しかし,koroさんには,そのファンダメンタリストたちが決してつかめず,理解できない真理が,もう「見えてる」(悟ってる)のだと思います。

2010/04/06(火) 06:19 | URL | possible #C454ixHI[ 編集]
内なる神
possibleさん、こんばんわ。

 possibleさんのブログを見てると、どの宗教も共通の教え(自分の中にある内なる神)を教えている気がしますね。

 ところで、オーム ナマ シバーヤは、オーム真理教が、その教えを拝借したものなのでしょうか?
 

2010/04/05(月) 21:42 | URL | koro #-[ 編集]
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