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(
お知らせ:
この記事は、1月26日に再編集し、
「
ギリシャ語本文から」
の解説と
「
画像」を少し加えました。
より分かりやすく、また、心に訴えるためにです。)
とある掲示板に投稿したのですが、そこの管理人の都合で
「
勝手に」削除されてしまったため、
そのとき投稿した内容のものを思い出しながら、
今一度、書いてみます。
それは、「
今、自分で復讐をしている」
(過去に自分を理不尽に扱った長老たちに対して)
と述べる現役のエホバの証人の方
に対して、私が述べたものです。
では、今、
思い出しながら、書いてみます。
(時間がなくて、すぐには書けませんでした。
もう数日経ってます。
勝手に投稿を削除するのは、
ある意味「失礼」ではないでしょうか。
わざわざ「時間」と「労力」をかけて
投稿してくれた人たちに対してです。)
-----------------------------------
そろそろ、ご自分を「解放」してあげたらいかがでしょうか。
復讐に燃えてる人生など、「むなしい」ものです。
(そう思いませんか?)
聖書には、
「
復しゅうはわたしのもの、
わたしが返報する」
と書かれています。(ローマ12:19)
ここで「
わたしが」と訳されてる部分には、
ギリシャ語では、わざわざ人称代名詞が用いられ、
その部分が「
強調」されてることを示しています。
神ご自身が、「
わ・た・し・が・」絶対するから
と
強調して述べてる事柄を、
あなたが代わってする必要はないのです。
また、ローマ12章21節には、
「
悪に征服されてはなりません」
とも書かれています。
これは、
「
あなたは、自分自身が悪に征服されるのを許してはなりません」
の意です。
(英文、"Do not let yourself be conquered by the evil.")
つまり、自分で復讐をすることは、
「
あなたのほうが負け」という意味です。
これ(復讐)は、会社の新人研修
(その人はそれを担当していた)において、
「あなたは絶対負けてはならない。
もし会社を辞めるのなら、勝ってから辞めなさい」
と述べてる人には、ふさわしくない行為です。
----------------------------
以上です。
思い出しながらですので、正確な引用文ではありません。
また、この記事で、分かりやすくするために、
丸カッコ内の言葉は、ここでの私の挿入句です。
なお、「
ローマ12章21節」に関しては、
ギリシャ語本文から
ここで、もう少し解説してみます。
以下の画像は、私の聖書(参照資料付き)です。
そこには、私の文字で、こう書かれています。
(
現命)「
やめなさい」

その部分のギリシャ語の文法は、いわゆる
「
現在時制の禁止命令」という形で書かれています。
どういうことかというと、「あなたは今までずっと
悪に征服されてきたかもしれない。
しかし、もう、そういうことは
やめなさい」という意味です。
(
注: この文法に関する詳しい説明は、
以下のアドレスの記事の「
脚注19」を参照。↓
http://godpresencewithin.web.fc2.com/pages/hitorigoto/magdalene.html#脚注19単に「するな」ではなく、「
やめなさい」だから、
すでに、そういうことを行ってる人に、
その行為を「
ストップせよ」と教えているわけです。
下の画像は、私の持ってる「
王国行間逐語訳」より。
その行間の英語を見れば、その問題の部分のギリシャ語が
「
受動態」で書かれていることも分かります。
つまり、
征服「
されている」(すなわち、他人に。しかも、悪に)
ということです。
これほど「くやしい」こともないでしょう。
http://godpresencewithin.web.fc2.com/pages/greek/imperative.html
だから、もう、そういうことは「
やめなよ」と聖書は言うわけです。
このように、「自分で復讐をしてはならない」ということには、
そうする「
理由」が、ちゃんとあることを
聖書は論理的に説明しているわけです。
ところで、「心の法則」の観点からすれば、
復讐心は、まず「
自分自身を」傷つけます。
怒ったり、どなったりして、
「疲れた」経験をお持ちではありませんか?
そうです。怒ることは、案外、エネルギーを使うのです。
また、そのことで、よけい「イライラ」したり、
「自己嫌悪」や、相手に悪いことをした
という気持ちを持ってしまったことはありませんか?
そのような『
ネガティブな感情』を持ち続けていると、
やがて、「精神」だけでなく、
「体」にも影響が出てきてしまいます。
そうして、やがて「病気」という形で表れてきてしまうでしょう。
仮に、「病気」にまではならなくとも、
「肩が痛い」「関節が痛い」
「なんとなくダルい」「疲れがとれない」
などの症状として表れてきてしまうかもしれません。
そうしたら、元も子もありません。
相手を傷つけるつもりが、実際には
「
自分自身を」
一番傷つけることになってしまうからです。
それゆえ、難しいとしても、相手を「許す」
(もし、「許す」こと自体が難しいなら、
「もう考えないようにする」
「思い出さないようにする」だけでもいい)
というのは、実際には
「
自分自身のため」
なのです。
しかし、自分に対して理不尽な扱いをした人を
「
どうしても許せない」と感じるなら、
どうしたらいいでしょう?
そういう方は、
「
神が[必ず]復讐してくださる」
という信仰を持ちましょう。
「心の法則」によれば、
悪は自分自身の力で
やがて「崩壊」(自ら崩壊)してしまうでしょう。
それは、相手が「病気になって死ぬ」「事故で死ぬ」
あるいは、なんらかの「不幸な目に遭う」
(たとえば、「仕事を失う」「家庭不和」など)
の結果となって表れてきます。
あなたは何もしなくてもよいのです。
あなたが、自分で復讐をする必要などないのです。
それをするのは、あなたの役目ではありません。
ですから、もう、あなたをいじめた
「くだらない人」のことなどは忘れて、
「
自分自身のしあわせ」を願ってください。
あなたには、しあわせになる権利があるのです。
その「しあわせになる権利」を誰にも奪い取られてはなりません。
「
宙船(そらふね)」 TOKIO
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